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TCGと感想のブログ

【感想】倫理観のめばえ ~忍者と殺し屋のふたり暮らし

アニメ最終話までの感想です。少しだけ原作4巻のネタバレを含みますが、脚注に逃がしています(脚注なしでも読めます)。見たこと無い人は1話前半だけで面白いかどうかの判断が付くので観てみてください。

 

 

倫理観がない

にんころは観ていてとにかく楽しいギャグ作品でしたが、感想を語る上で避けて通れないのはその倫理観でしょう。

1話時点から「美少女忍者を次々と殺す」「クラスメイトの父親も殺す」「〇戸屋に2人で入店し定食1つだけ頼んでご飯と漬物を何度もお代わりする」など、一般の倫理観が欠如したギャグが繰り広げられます。当時の私は「これ面白いって公言していいのか...?」と困惑した記憶があります(人格を疑われるため)。

殺した後に死体を葉っぱにして証拠隠滅するギミックも秀逸で、一瞬で葉が散って風景に溶け込むその様は、まるでその人が世界に存在したことを誰も思い出せなくなるような切なさがあります。

それを強調するかのように、3話では人が1人いなくなっても社会は気にも留めない様子が描かれ、4話では「今まで殺した忍者の葉っぱで焼き芋を作る」ことで葉っぱでいることすら許されなくなります。

 

転機となるロボ子回

ロボ子が登場した5話は、誰の目から見ても傑作だったと思います。シャフト感全開の演出の中、超絶萌えキャラであるマリンの登場、ロボットと殺し屋が共同生活の中で絆を結んでいき、最後にあっけなく生活が元に戻り、モヤモヤしたまま可愛いロボ子のエンディングを眺めることになります。4話で家具全部葉っぱにした後仲直りしたさとこの帰宅と5話の最悪な帰宅との対比も楽しいです。

物語上でもロボ子回は大きな転機でした。

このははロボ子という初めての甘えられる相手を手に入れますが、ロボ子は葉っぱにされてしまい、心に深い傷を負います。続く6話で、さとこにロボ子の面影を重ねながら段々と傷を癒しますが、それと同時にもう一度ロボ子≒さとこを失うことはできないと気付いてしまうことは想像に容易いです。

 

倫理のめばえ

終盤に差し掛かる10話では、このはは今の自身を形成していた幼少期に戻りさとこに寂しさを埋められたことで性格も変わってしまいます。そして何より、さとこに対する思い入れが強まり、いよいよ守るべきものができてしまいました。殺し屋として生きるには致命的すぎる弱点です。

一方のさとこも、(色々引っかかる点はあるものの)命の恩人であり仕事の相棒でもあるこのはに完全に懐いていました*1

守るものができてしまった2人は、あっさり殺すか殺されるかの単純な二元論ではもう生きることができません。アニメ終盤ではさとこは片眼を、このはは片腕を失いながらも敵を迎え撃ち、一歩進んだ関係となった「忍者と殺し屋のふたりぐらし」が描かれて終わりました。

 

終わりに

私はこういうギャグ全力でやってる中で、丁寧に物語が進む作品が大の弱点です。久しぶりにBlu-ray買いました。家狭いから物買わないようにしてるのに、買って応援しなきゃ後悔しそうで。

こういった感想も書きながら「これ面白く無くね?*2」となるので普段下書きのままになるのですが、もっと観られてほしい作品については当たり前に面白かったと言うべき、と思って提出しました。一番好きなギャグは「ねこを見つけるさとこ」です。よろしくお願いします。

終わり。

 

倫理という言葉を使ったことに対する謎の言い訳を脚注に逃がします*3

 



*1:原作4巻で明らかになりますが、実はさとこが初めてとして個として認識できた人間はこのはであり、単なる命の恩人以上に執着する理由がありました。

*2:作品がギャグやってる中で、私はギャグやらずに考察めいたものを書くの何なん?と思っている。日常会話で気の利いた役割演じられてない感覚と近い。無理して公開するほどの文にはならない。

*3:分かりやすくするために雑に倫理って言葉を使いましたが価値観が変わっただけで、利己主義の括りでほとんど説明できます(例えば、相手のために善行をするといっても、それは自分がそうしたいからしていだけと言えなくはないし、そもそも相手が何を望んでいるかなんて厳密には知りえない問題もある)。架空のキャラクターにおいては、そのキャラクターが何を考えているかを固定することで、利己主義を越えた何かと捉えることができそうですが、その視点ではみてません。